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いきなり何だという感じですが。
私が以前行ったり見たりしたもので、今はもう無くなってしまったものなんかの覚えてることを適当にメモっておくカテゴリです。
(なんかいいカテゴリ名思いついたらそのうち変えよう…)
昔をちょっと思い出したいときなんかの参考になりましたら。

とりあえず第1回は「サッポロスプリングス」を取り上げてみます。
この施設は札幌市中央区のサッポロファクトリー二条館4階にありました。
名前からもなんとなく想像がつきそうですが、温浴施設です。ちなみに天然温泉。

1993年のサッポロファクトリー開業当時といえば、まだギリギリなんとな~くバブルの残滓みたいなのが残ってた頃でしょうか。
もちろん設計や起工はそれより前ですから、わりとバブリーな造りといえるでしょう。
あの広いアトリウムとか随所に見られるレンガとか、室内の花壇、芝生、池とか。

近くに親戚が住んでいたこともあって、私もちょこちょこファクトリーに行くことがありました。
で、よくみんなで遊びに行っていたのがこのサッポロスプリングス。

エレベーターで4階に上がるとすぐエントランスがあります。
入って右手に下駄箱が並んでいて、正面にフロント。
ここで受付を済ませたら、右手にあるなかなかに長い通路に入ります。
この通路は間接照明で足元から照らされていて、ちょっとした別世界に行くような感じに。
…と思ったら、一転して明るい部屋に。壁を見渡すと、なんか前衛芸術みたいな絵が描かれていたような記憶があります。
そこを抜けると確か左側に休憩コーナーがあって、正面に更に進むと更衣室。左が男子更衣室で右が女子更衣室、だったかなぁ…?

更衣室は、壁際に鏡台が並んで、その反対側にロッカーがあるスタイルで。壁にずらっと並んでるんじゃなくて、櫛型の配置。
プールへの入口のほうに進んでいくと、手前に脱水機とシャワーブースがある部屋があります。
水着に着替えてプール入口を抜けたら、シャワーをかぶっていざプールへ。

ここでいままで進んできた方向からUターン。
そうすると右手がガラス張りになっていて、表にある露天風呂が見えます。この露天風呂はかまくらみたいになっていて、少人数で入るようになってたんですよね。
そこを抜けると、まず右手にあったのは確かキッズプール。スロープがついてて、横を通る通路は階段になってたはず。
階段を上ると、すぐ右手にジャグジー風呂。その横がメインプールで、プールサイドにはビーチチェアが並んでました。
プールの真上には巨大なクジラの模型が吊るされてて、その上は全面天窓なので空が見えます。ちなみにビーチチェアのあるところまでは天井が低くなってた。
プールは微妙に変則的な形で、キッズプール側の端が凸みたいになってました。長さも最長部で22.5mくらいだったような。
ジャグジーのあたりの左手にはちょっと下る階段があって、そこがレストラン「トンパ」。トンパ文字を壁とか窓にあしらったかわいいお店でした。通路側カウンターには小窓がいくつもついていて、プール側を見られます。フライドポテトとか食べたなぁ。

通路をプールサイドに沿って突き当たりまで進みます。
そしたら左手には下り階段があって、その先は確かスタッフルーム。
正面には打たせ湯があったような、なかったような…。
右に進むとプールの辺の短い側に出ますが、このへんがプールと温泉の境目でしたね。
で、プール横に「クアミッド」っていうお風呂がありました。
そうなんです、ここの面白いところって、それぞれのお風呂のネーミングだったんですよ。
これはクア+ピラミッド、ってことでしょうか。形も三角でしたし。
ここから施設の奥のほうにあるお風呂にお湯が流れていってたみたいです。

お風呂はさっきのプール横からコの字っぽい通路が出ていて、コの中が「半月」。全体にごく浅くお湯が流れてて、いくつか壁が出ているところの足元に半月状の深みがあって、そこに入るってわけです。
コの字をさっきの打たせ湯側から回るように進むと、なんかゴロ寝するようなお風呂とかがいくつかあって(名前忘れた!)、一番奥には檜風呂「ザ・ヒノキ」。
通路の反対側に行って、サウナとその手前に水風呂「ヒヤヤ」、その横がミストサウナ、でクアミッドの前に戻ってきます。
ここから窓際に沿ってゆっくりと上っていくスロープがあって、その先にはなんか筒状のコンクリート構造物の中にお風呂。この通路からはアトリウムを一望出来たんですが、ここも名前忘れちゃった…。
クアミッドとスロープの間を通ると、途中で下り階段があったんだったかなぁ。その先なんかプールサイドのカウンターっぽいのがある場所に通じていたり、もっと下ると変なとこにお風呂がもうひとつあったような気がしたりしなかったり…。
そこを抜けるとまたキッズプール横に戻るわけです。

うーん、覚えてる限りで書いてみたはいいけど、文字だけで説明するのは非常に難しい…。
そのうち記憶上の見取り図でも書いてみましょうかね。

なつかしいなぁー。
最後に行ったのはたぶん1998年くらいで、その時まだ小学生の3年生か4年生くらいでした。
スプリングスはその後何度か運営会社の変更と改装があり、ワンデイスパやらサリアやらと名前が変わった挙句、2009年初頭に営業を完全に終了します。
跡地は市税事務所になっているとか。プール部分は跡形もなくなっていることでしょう。

そんな経緯のせいか、ネット上にスプリングス時代の写真や情報なんかはほとんどありません。
譲渡・改装後ならほんの少しはあるんですけどね。
あの独特のデザインと雰囲気は、小学生の私にもなかなかに強烈な記憶を残したようです。
ファクトリー全体でも、あっちこっちにあった機械デザインの装飾とか、階段に書いてあったひらがな(あれの意味は結局わからなかった)とか、建物全体が芸術作品のようなそんな印象がありました。
そういうのも改装でほとんど全部取っ払っちゃいましたもんね。

なんとなくやってみましたけど、どうなんだろうこれは…。
ほぼ全てが記憶頼りな上に、文字情報しかなくてわかりにくい誰得って感じですけど。
現在はこうなっている、みたいな画像をつけとくとちょっといいかなとは思ったり。
あとは読んでいただいた皆様に想像力と妄想力を膨らませていただくという感じで(投げやり)

まだいくつか書いてみたいネタはあるので、とりあえずは次もやってみます。
ほぼ札幌市内ネタになるとは思いますが。
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懐かしい風景
元、関係者です。
というか、オープン時の立ち上げメンバーの一人です。
あまりにも懐かしいので出てきました。

お客様が少なかったスプリングスを何度かご利用頂いたようで、まずは御礼申し上げます。

小学校時代の記憶なのに相当正確に描写されていて驚きました。
昨年、創業メンバーの同窓会を札幌でやりましたが、元スタッフもここまで記憶していませんでしたよ。

いつくか訂正を。
プールの長さは最長で23mです。
プールの上にあった模型はクジラではなくて舟です。
もともとはメキシコにあったティオティワカン遺跡をモチーフに作られた施設で、「掘り出し感覚」を意識してデザインされていました。
ダムの建設等の理由で水底に沈んだ遺跡をプールに見立て、そこから水面に浮かぶ舟の底を見上げるという設定です。
天井からはワイヤーで吊り、横からライトアップしているので夜見ると幻想的でした。
(当時小学生では夜はご覧になっていないかな(笑))

1993年7月12日午後10時17分に起きた北海道南西沖地震(奥尻島で津波が発生した地震)の時も私は勤務していました。
舟が凄い勢いで揺れていたのと、浴槽の湯が大量にこぼれたのを記憶しています。

スプリングスの話になると止まらなくなるので、この辺で失礼します。
YOKOSUKA 2015/05/29(Fri)18:50:22 編集
びっくりです
わぁ、なんと元関係者の方に見ていただいたとは。ありがとうございます。
こんな雑な記事で申し訳ないです…。

あの上の模型は舟だったのですか…そして施設全体にもそんなデザインイメージが存在したのですね。
夜も冬場の夕方6時くらいまでお邪魔していたことはあるので、ライトアップされた状態もバッチリ覚えておりますよ! 素敵な空間でしたね。
地震のほうは実はあまり記憶に無いのですが、相当揺れたのでしょうね…4階ですし。

小さい頃から水上・水中都市や遺跡なんかは好きだったのですが、間違いなくスプリングスから結構な影響を受けていると思われます。お気に入りの場所でしたので…。無くなってしまったのは本当に残念です。

今後、スプリングスの記事は加筆修正しようかなと考えていたのですが、その際にYOKOSUKA様が今回教えて下さった内容をぜひ引用させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
お返事、お待ちしております。
芹屋 2015/06/04(Thu)23:33:28 編集
想い出の風景
レスありがとうございます。

さらに、懐かしい風景を語りに参りました。

サッポロスプリングスが素敵な空間になるのは、実は夜なんですよね、それも深夜がベスト。
プール上の舟が下からライトアップされ、プールや全ての浴槽内の水中照明が点灯すると、それはそれは幻想的な世界でした。

露天風呂を憶えていらっしゃるでしょうか?
ピラミッド状になっていましたが、あの階段がティオティワカン遺跡を表しています。
ピラミッドの下は大きい浴槽になっていて、ピラミッッドの中央には幅1mほどの裂け目があります。
この裂け目には意味があって、冬はこの裂け目から雪が降り、露天風呂に浸かりながら雪を眺めるようになっていました。
だから「雪見洞窟」という名前なのです。

露天風呂は深さ5cmくらいの浅い湯(というか、ぬるま湯)の庭になっていて、「カマクラミッド」という小さな露天風呂が6個ありました。
これは周りからは見えない、カップルで入るための浴槽でした。
水着を着て入る温泉なので当然に混浴なのですが、こういう浴槽を作ると自ずと色んなことをするお客様が居ましたね。
今はあのような浴槽を作ると問題になりそうです(笑)

ちなみにサッポロスプリングスのプロデュースは、アートディレクターの榎本了壱氏でした。

今日も話が止まらなくなりそうなので、このあたりで失礼します。
それと、私の書いたことは引用して頂いても結構です。
YOKOSUKA 2015/06/09(Tue)22:36:59 編集
無題
再びのコメント、ありがとうございます。

露天風呂! 確かにごく浅くお湯が流れていて、浴槽部分の天井には隙間がありましたね。
カマクラミッドは覚えていたのですが(名前は忘れていた)、何故か露天風呂は記憶から大半が抜け落ちてしまっていました。
子供心にはなんだか秘密基地のような感じで楽しかったのですけど、やっぱりそういうのはあったんですね…(笑

なんだか、ここのコメントや記事への引用だけでは勿体無い貴重な情報ですね。
また、色々と伺えると嬉しいです。
ちょっと気になっているのは、アトリウム側の長いスロープを上ったところのお風呂と、その付近なのですけど…(あつかましくてすみません)
もう少し、ちゃんとした記録として残せるような方法を考えてみます。
芹屋 2015/06/11(Thu)23:25:49 編集
アトリウム側の風景
昔の職場のことは忘れていましたが、記憶がだんだん戻ってきました。
私が勤務していたのは今から20年以上前のこと、年齢はちょうど30歳でした。(アルバイトではなく社員です)


アトリウム側には高さ7m、直径3mくらいの円柱が2本立っていて、それぞれが風呂になっていました。

アトリウム側のスロープを登っていくと左側の円柱のてっぺんに着きます。
中には壁に囲まれたジャグシー(泡風呂)がありました。
名前は「展望風呂」といいますが、浴槽からはアトリウムの景色は見えません。(展望じゃない!)
むしろ、貸し切り風呂という雰囲気でした。

わざわざスロープを登ったのに、先客、特にカップルがイチャイチャしていたりすると、気まずくてスゴスゴと引き返していた方が多かったです。
スロープを登る前には中の様子がわからず、その意味ではちょっと不評でしたね。

あの風呂の目的は、実はスロープをお客様に歩いてもらうことにあります。
水着姿の男性女性が歩く姿をアトリウムから見上げることによって、
「あ、あんなところに面白そうな施設がある」
と思わせることが狙いでした。
確かに広告効果は少しはあったと思います。


もう一本の円筒の中には下から入ります。
そこには打たせ湯があり、高さ3mくらいの処から湯が一筋落ちていました。
それを肩や背に当ててマッサージ効果を得るのが目的ですが、体に当たった湯がはねて隣の人の顔に降り注ぐので、ちょっと気まずい風呂でした。
当初は打たせ湯の湯が座面に当たって物凄く跳ね飛び、とても目を開けていられない状態だったので、オープン前に手直ししてもらったのを憶えています。
座面の中心に穴をあけ、湯呑み状の容器を埋め込むことで湯の跳ね飛びを抑制しました。
今思うと、「滝壺効果」を狙ったと言えるでしょう。

長くなりましたので今宵はこのあたりにさせて頂きます。
YOKOSUKA 2015/06/15(Mon)18:48:02 編集
無題
当時30歳でしたら、ちょうど私の親と同世代くらいですね。
そんな方から色々とお話を伺えるのはなんだか不思議な感じもします。インターネットのおかげですね…。

スロープがアトリウムから見えること、登った先の円柱の中に浴槽があるのは覚えていたのですが、もう一本円柱があったことと、その中が打たせ湯になっていたことは教えていただいても薄らとしか思い出せないですね…。
基本的にあちら側は行くことがあまり多くありませんでしたので。

うーん、聞けば聞くほど勿体無いですね。
こんな僻地のブログではなく、なるべく人目につきやすい場所に記録を置いておけると良いとは思うのですが…どうしたものでしょう。
芹屋 2015/06/18(Thu)00:02:33 編集
プールサイドの風景
再び、YOKOSUKAです。
その名の通り、現在は神奈川県横須賀市に住んでいます。
札幌に住んでいたのはわずか3年ほどでしたが、五十余年の人生の中でも一番充実していた時期でした。

さて、今日はプールサイドのお話をします。
その前に、先日の記述で、円筒の上にある浴槽を展望風呂と言いましたが、正しくは「展望ジェット」でした。


更衣室から出て露天ゾーンを右に見ながら進むと広いところに出ます。
まず正面にあるのがキッズプールで、大きなプールからオーバーフローした水が斜面を流れて来るような造りになっています。
斜面を滑り台にしなかったのは、サッポロスプリングスはあくまでも大人の空間なので、あまりに子供たちが騒ぐとアダルトな雰囲気が壊れるという配慮からでした。
でも、「大人向き」というにはちょっと中途半端でしたよね。

キッズプールで楽しく遊んでもらおうと、私の発案でプールサイトに水鉄砲を置きましたが、あっという間に全部壊れてしまいました。
電池式やポンプ式など十数種類の水鉄砲がありましたが、狸小路のおもちゃ屋さんに私が買い出しに行ったものです。

どうでしょう?
水鉄砲で遊んだ記憶はございませんか?

プールとレストランの間を進むと1つジャグジーがあり、その先にビーチチェアが並んでいました。
そのうちの4台の上には天井にランプがあって光に当たることが出来ます。
「ソラリーン」という商品名が使えなかったので、「コンガリーン」という名称でした。
いかにも日焼けしそうな名前ですが、実は全く日焼け効果が無いのです。
紫外線ランプ6個と赤外線ランプ2個のカクテル光線で健康増進というのが売りでした。

更に進むとデッキチェアが並んでいて、先の右側にはクアミッド、左にはボディシャワーがありました。
あのボディシャワーはお客様にとっては気持ちいいものですが、実に従業員泣かせの代物で、タイルの表面に青い汚れが付くんですよね。
今考えると藻の一種だと思うのですが、どんな洗剤を付けても猛烈に擦っても取れなくて往生しました。

奥に行かずにクアミッドを右に見ながらプールを回り込むとまたビーチチェアやテーブルがあり、例の円筒二つが左側にあります。

その先の左側が子供用浴槽「チャプチャプ」でした。
プール以外の浴槽は温泉を使用していましたが、ここだけは幼児の弱い肌に配慮して水道水を加温したものを入れていました。

プールが長方形ではなかったのは、プールサイドにバーカウンターがあるからです。
当初はここに従業員が入って、カクテルやビール、軽いつまみを出す予定でしたが、保健所の許可が下りずに断念しました。
実は同様のプールサイドバーがすすきのの北欧サウナのプールにありましたが、プールに浸かりながら冷たいものを飲むと、とってもお腹が冷えた記憶があります。
そういう意味であのカウンターは使わなくて良かったと今は思っています。

ただ、潜水で泳いだお客様が急に浮上した際にカウンターに頭をぶつけて痛い思いをされたことがあり、申し訳なく思っています。


それにしても意外に憶えているものですね。
今宵はここまでにさせて頂きます。
YOKOSUKA 2015/06/26(Fri)23:12:17 編集
無題
今回もありがとうございます。
札幌では充実した時間をお過ごしだったとのことで、札幌市民として嬉しいですね。

キッズプール周辺は毎回通る場所ですのでよく覚えていて、私もアダルトな雰囲気を崩壊させるのにかなり加担していたかと思いますが(笑)、水鉄砲があったのは知りませんでした。
おそらく私のスプリングスに関する記憶は95年頃以降のものなので、その前に全て撤去されてしまったのかもしれませんね。
狸小路も20年間で店舗の入れ替わりが進み、いわゆる「おもちゃ屋さん」は全て閉店してしまいました。

ソラリーンといいますと、札幌テルメなんかにもあった日焼けマシンですよね。
ビーチチェア上の照明は確かに日焼けすることはありませんでしたね…仄かな暖かさは感じられましたが。

プールサイドのバーカウンター、実は私も潜っていて頭をぶつけたことがあります(笑)
当時はなんでこんなものが、というかこれ何するものなの? と思っていましたが、そういう経緯があったのですね。
サウナ北欧クラブも一度だけ連れて行かれたことがあって、プールサイドのカウンターもうっすら記憶にあるのですが、あれは確かに体を冷やしそうです…水温も低めだったように思いますし。

別記事でスプリングスのことをまとめる件は、かなり具体的な計画が出来てきました。
図を用意した上で、YOKOSUKA様からいただいた情報に私の記憶を加えて、出来るだけ仔細に記録することを考えています。
まだお話を伺えていない所といいますと、奥の半月やサウナ等のあった場所、それとレストランあたりでしょうか…。
厚かましいお願いかとは思いますが、残りの部分についても聞かせていただけると嬉しいです。
また、お待ちしております。
芹屋 2015/06/28(Sun)23:21:36 編集
奥の方の風景
ちょっと時間が空いてしまって失礼しました。
奥の方の風景を語りたいと思います。

プールとレストラン「トンパ」の間を歩くと左にボディシャワーがあり、その奥が確か「奥の郷」という名のエリアだったと記憶しています。
ここにはクアミッドから流れ出た湯が深さ10cmの湯の川になっており、その中に正方形と半円形の浴槽があります。
浅い処に深い浴槽が点在しているために子供には結構危険なわけで、良く足を踏み外したお子さんが浴槽に転落して泣いていらっしゃいました。
おまけに各浴槽の横にはついたて状の壁があり、その壁の表面がザラザラだったので、お客様が怪我をしないかと内心冷や冷やしていました。

湯の川の中の浴槽はバイブラ(泡風呂)になっていて、「ジャワワ」という名でした。
ちなみに、泡風呂は泡が弾ける瞬間に出る超音波が体にいいとされています。
有名な入浴剤「バブ」のパッケージなんかにも書いてあります。

奥の郷の中央に湯の川が流れていますが、その両脇について説明しましょう。

奥の郷に入ってすぐ左には、正方形の小さな浴槽があります。
名前は「アチチ」といって、その名の通り高温の湯です。
設定は43度か42度だったと記憶しています。
話がそれますが、高齢者が熱めの湯を好む理由をご存じでしょうか?
決して高温に強いのではなく、熱さを感じにくいからなんですね。
ですから、高齢者が熱い湯に長時間入ることはとても危険です。


アチチの奥にある半月の浴槽は「半月」という、何のひねりも無い浴槽です。
オープン前はここにハーブ入りの湯を張って「カオール」という名にする計画でしたが、保健所からのストップが入りました。
繰り返しになりますが、サッポロスプリングスは公衆浴場法上の浴場ではなく、プール施設としての届け出で営業していました。


半月の奥には寝風呂があります。
名称は「ノビノビット」と言って、5つの浴槽が並んでいました。
仰向け状態で入ると、肩と背中と腰にジェット水流が当たるようになっていて、マッサージ効果が期待できます。
ただ、こういった浴槽は通常は体が動いたり浮き上がったりしないように取っ手が付いているのですが、ノビノビットには有りませんでした。
何とも入りにくい浴槽だったのは確かです。
オープン前に気が付いた私が取っ手を付ける提案をしましたが、「自然な掘り出し感覚」のコンセプトに反するという理由でプロデュースした方に拒否されました。

寝風呂の奥は壁で仕切られていて、その奥に檜風呂がありました。
名称は「ザ・ヒノキ」といいます。
常連さんの何人かはここが大好きで、いつも籠っていらしたのを憶えています。

ザ・ヒノキを出てノビノビットの反対に出ると、水風呂「ヒヤヤ」があります。
要するにサウナのための水風呂で、温度設定は15度でした。

サウナは二種類あり、85度のドライサウナ、そして70度のミストサウナです。
通常のサウナは90度~95度くらいで設定しますが、サッポロスプリングスではちょっと低めにしていました。
そういう意味では本格サウナとは言えないのかもしれません。

サウナがあるということは定期的にサウナマットを交換する必要があります。
気温85度の環境で迅速にサウナマットの交換作業をする練習を従業員にずいぶんやらせましたが、みんな汗だくになって45秒の壁を破るべく頑張っていました。
この時に気が付きましたが、こういう作業は男性より女性の方が手際がいいんですね。

長くなりましたので今夜はこのあたりで。

YOKOSUKA 2015/07/08(Wed)00:15:27 編集
これでほぼ全体でしょうか
奥のほうのエリアにも「奥の郷」という名前があったのですね。
アチチ、ヒヤヤ、ザ・ヒノキあたりはしっかり覚えていたのですが、やはり色々と忘れてしまっているものですね。
ちなみに私は当時ミストサウナがお気に入りで、よく一人で勝手に入っていた記憶があります。
湯の川の中の深い浴槽で足を踏み外したのは…お約束といいますか、やはり複数回あったと思います(笑)
ところで、どこかに「カゲユ」という名前のお風呂があったかと思うのですが、YOKOSUKA様は覚えていらっしゃいますか?名前だけは記憶にあるのですが…。

今回のお話で、プール・温泉部分に関してはほぼ全て教えていただけたことになるのでしょうか。
本当に何と申しましょうか、まさかこんなに色々とお話を伺えるとは思わず、重ねて感謝致します。
新しく作成する記事もなるべく早く投稿するつもりですので、もう少しだけお付き合いいただければと存じます。
芹屋 2015/07/13(Mon)22:26:21 編集
飲食ゾーンの風景Ⅰ
ちょっと空いてしまいましたが、今日は飲食ゾーンのお話をします。

その前に奥の郷の補足を。
「カゲユ」という浴槽は確かにありました。
湯の川の中にある正方形の浴槽はカゲユといってバイブラが無く、半月型の浴槽はバイブラがあってジャワワという名称でした。
ご指摘ありがとうございました。

ちなみに湯の川を歩いていて足を踏み外してカゲユに落ち、体勢を崩した拍子にコンクリートの壁のザラザラで背中を擦りむいた大人の男性が初年度に2名いらっしゃいました。
ちょっと危険ですよね。

さて、サッポロスプリングスには飲食店が2つありました。
一つはプールサイドにあって水着で入れるレストラン「トンパ」、もう一つはロッカールームを抜けたところにあるラウンジ「TEO(テオ)」でした。

まずは「トンパ」から。
中国の奥地(チベット方面)に今でも30万人くらい生息する少数民族ナシ族が宗教的に使用している象形文字をトンパ文字といいます。
現在では世界で唯一の生きた象形文字と言われているそうです。
レストラントンパの名はここから付けられました。
レストラン入り口の大きなガラスには、亀が矢に貫かれたような象形文字が彫られ、プール側の小さな窓の全てにも文字が描かれていました。

レストラン内には大きな丸テーブルが2~3個と、壁際とプール側にカウンター席がありました。
オープン寸前になってレストランに椅子が無いことに気付き、慌ててプロデュース会社(読売広告社)に確認したのを憶えています。
サッポロスプリングスをデザインした榎本氏のイメージでは、このレストランは全て立食でいいということだったのです。
「お客様のために椅子を置きたい」と言ったところ、「コンセプトに合わないからダメ」と当初は突き返されました。
しかし、「コンセプトとお客様とどちらが大事か?」と食い下がって、やっと椅子を置いたというエピソードがありました。
金属製の黒い椅子を急きょ購入し、その金額が90万円だったことを鮮明に憶えています。
きっとショッキングなことだったのでしょう。

レストランのメニューは、当初はお子さん達向けのものは少なかったですね。
記憶の限りでは下記の通りです。

トンパドッグ(ホットドッグ)
豆サラダ
点心(焼売、蒸し餃子、春巻きなど)
フライドポテト&パンプキン
焼きおにぎり
ナン&カレー

焼きそばやラーメン、日本そばなどは後で出て来たメニューです。

飲み物は生ビールの他、MACで出て来るコーラ類などがありました。

上記のトンパドッグというのがちょっと曲者でした。
パンに穴が空いていて、それが熱せられた金属の棒に刺さっており、注文を受けると茹でたソーセージを差し込んでお客様に出していました。
何処かの国でこういうホットドッグを出していたのを見たサッポロビールの上司の案でしたが、ホットドッグは野菜(レタス・ピクルス)が入った方が絶対に美味い。
というわけで、半年もしないうちにパンに切れ目を入れ、レタス・ソーセージ・コールスローサラダ・ピクルスを乗せるように変更しました。
そういえばあの穴のあいたパン、サッポロファクトリー内のパン屋さん「ドンク」に注文して特別に作ってもらっていました。
パンの生地は、食パン風、フランスパン、全粒粉と3種類から選ぶのでしたが、私の趣味で全粒粉を選択したのを憶えています。

唯一の揚げ物「ポテト&パンプキン」は結構おいしかったですね。
あの冷食のフライドパンプキンを様々な業務用食品店で探しましたが、どうしても見つかりませんでした。
ポテトは皮付きのナチュラルカットを使用していましたので、今でも観光地やコンビニであれを見るとトンパのことを思い出します。

レストランのメニューは全てプールサイドで食べることが出来るように変更したのは、確かオープンから半年くらい経ってからでした。
当初は床や浴槽を汚されることを懸念しましたが、マナーの悪いお客様はあまり多くはなかったです。

長くなりましたのでラウンジの話は次回にします。
YOKOSUKA 2015/07/25(Sat)22:51:49 編集
無題
1週間も返信せずにいてしまいました。申し訳ありません…。

「カゲユ」についての解説、ありがとうございます。
確かにあの壁、ザラザラしていましたね。私も何回かひっかけたことがあったような…?

「トンパ」の内装は可愛くて好きでしたね。プール側のテーブルから、トンパ文字の書かれている窓越しに外を見るのが好きでよくやっていました。あれがトンパ文字だと知ったのは中学生くらいになってからでしたが。
決まってフライドポテトを食べてましたが、トンパドッグは…すみません、ちょっと記憶にありません。
パンはドンクのものだったのですね。ドンクは今でも市内数箇所に店舗がありますが、ファクトリーの店舗は無くなってしまったようですね。

そして、ロッカー近くのラウンジ「TEO」に関しては、こちらはなんと全く記憶にありません…。
ロッカールームの手前に何か休憩スペースのような空間があった覚えはほんのりとありますが、その場所がまさに「TEO」だったのでしょうか。
次回はそのお話を聞かせていただけるとのことで、楽しみにしております。
芹屋 2015/08/01(Sat)20:08:32 編集
ラウンジTEOの風景
日数が経ってしまってすみません。
お盆休みでボーっとしていて・・・
というか、甲子園に夢中になっていました(笑)

さて、今日はラウンジTEOの話をします。

フロントでロッカーキーを受け取り、長い廊下を歩いて抜けたところに、ショップ、ラウンジ、マッサージ、リラクゼーションがありました。

ラウンジは廊下を抜けてすぐ左側にあります。
床はカーペットで、グリーンの丸テーブルとチェアが10組、合計で40席ありました。
(私が居た期間で半分以上埋まったことはありませんでした(自虐))

ちなみに、ラウンジTEO(テオ)のテオとは、ティオティワカン遺跡から取った名前です。


そうそう、バーカウンターもありましたね。
オープンしたばかりの頃は張り切って色々なメニューを考えたものです。
厨房が共通なのでレストランのFOODメニューは何でも注文出来ましたし、そのほかにコーヒーやケーキ、オリジナルカクテルなんかもありました。

「ケーキは自分で焼いていたんですか!」
と驚かれそうですが、そこは業務用食材の便利なところで、冷凍ケーキを電子レンジで温めると見事に冷たいケーキになるのでした。
味もそこそこでした。

このラウンジは無料の席ではなく、通常の喫茶店のように営業していたので、健康ランドやスーパー銭湯の無料休憩所を期待していたお客様には不評でした。
そこで、半分を有料ゾーン、もう半分を無料ゾーンとし、無料ゾーンには一段高い小上がりを作って足を伸ばしたり寝そべったり出来るようにしたのを憶えています。

ラウンジTEOはとにかく売り上げの少ない飲食店でした。
出勤してから帰るまでの5時間の勤務中、一人の接客もしなかったスタッフが居たのにはビックリしましたが、それが現実です。

私はサッポロスプリングスのNO2だったのに加え、親会社からの出向の立場だったので、得意分野である飲食については色々と画策しました。
新メニューを考えたり、壁やテーブル上のPOPを置いたり、セットメニューを導入したりと手を尽くしましたが、やはり難しかったですね。

ラウンジTEOの話となるとどうも苦労話ばかりになってしまうようです。

次回はラウンジの近くにあった、マッサージとリラクゼーションのお話をします。
今度はあまり時間をあけないようにします。

YOKOSUKA 2015/08/17(Mon)22:53:18 編集
無題
うわあ、ごめんなさい!
コメントに気付いていませんでした…。こちらこそ申し訳ありません。
今年の甲子園はなかなか見所が多くて楽しめましたね。私も結構見ていましたが、U-18代表戦も期待できそうです。

うーん、やはりラウンジやショップ等に関してはほとんど思い出せません…おそらくあの辺りには一度も行っていないので、こればっかりはどうしようもないですね。
しかしTEOはやっぱり厳しかったのですか…確かに私も廊下から見た限りですが、人の出入りを見たことがほとんど無いことは覚えています。
場所も影響したのでしょうか? これから遊ぼうという人はそのままプールに行ってしまうでしょうし、遊び終わって帰る前に少し休もうかとなった時は、トンパとほぼ同じメニューのTEOよりはファクトリー内のどこかのカフェなんかで、ということになってしまうのかな、とは思いました。
業務用の冷凍ケーキは、私もたまに業務用食材を扱っているお店に行ったりするので、そこで目にしますね。ちょっとした喫食スペースなら冷凍食材だけで賄えてしまえるくらい充実していますよね、本当に…。

そして、やはり結構なポジションの方でいらっしゃったんですね(大体予想はついていましたが…)。
そんな方から当時のお話をここまで詳しく聞かせていただけることは、重ね重ねですが本当にありがたいです。
また、次回もよろしくお願いします。
芹屋 2015/08/25(Tue)20:26:03 編集
マッサージ等のサービス
いつもコメントありがとうございます。

ナンバー2といっても当時は30歳の若僧でしたから、そんなに偉そうなことは言えませんが、忘れてしまいそうな当時の思い出を記録に残すためにも色々と書かせて頂いています。

さて、今日はラウンジTEOの入り口にあった①2つのサービスについて記憶をたどってみます。

①リラクゼーション
幅1.2m、長さ3mほどの個室が5個並んでいました。
個室に扉はありません。
各個室の中にはパイオニア製のリラクティブシステム「マザー」という機器が入っています。
今、ネットで検索してもこの機器の情報は出て来ませんね。
過去のものになってしまったのでしょう。
写真等を見せられないので文書だけで説明します。

大きめのリクライニングチェアに顔の上にカプセル状のカバーがかかります。
チェアに寝そべると潮騒サウンドが混じったヒーリング音楽が流れ、目の前に赤い光がチカチカと光ります。
赤い光は最初はうっとうしいのですが、(メーカー曰く)5分ほどで脳波と同調してリラックス気分へと導きます。
この機器に45分間寝ているとすっかりリラックスできるというサービスで、料金は2,500円でした。

私も何回か試しましたが、確かにリラックスしてよく眠れます。
ただ、あのサービスに2500円を払って頂けるお客様はとても少なく、5個ある個室はいつもガラガラでした(笑)
私が深夜の仕事中に休憩兼ねて利用したのが一番多かったのではないでしょうか?

余談ですが、サッポロスプリングスが平成9年か10年にワンデイスパに営業譲渡する際、上記のリラクティブシステムを買受けようと画策しました。
新品価格140万円に対して8万円の価格を提示し、それは受け入れられたのですが、運搬費が20万円近くかかると聞いて断念しました。
今思うと買わなくて良かっですね。
なにしろ置き場所に困りますから・・・


②マッサージ
サッポロスプリングスのような温泉施設は通常は地元のマッサージ業者に派遣を依頼するか、ジャスマックプラザのように自前で用意する施設が多い中、東京銀座に本社のある「グローバルスポーツ医学研究所」に業務委託していました。
ここは本格リンパ系スポーツマッサージで、他の温泉マッサージとは一線を画しているというのがふれこみです。

「てもみん」というマッサージ屋さんをご存じでしょうか?
札幌の街中にもいくつかありますね。
あのてもみんを運営しているのがグローバルスポーツ医学研究所です。

料金は50分5000円と通常と変わりませんが、サービスの品質はとても良かったと記憶しています。
ただ、サッポロスプリングスのお客様自体が少なかったためにマッサージもご多聞に漏れず閑古鳥が鳴いていました。
よって、マッサージだけを受けに来るお客様も受け入れるようになっていきました。

余談ですが、私が勤務していた頃のナンバー1(支配人)は、平成7年に退職後、グローバルスポーツ医学研究所に転職しました。
「てもみんは私が作った」とご本人が言っていましたが、本当かどうかは分かりません。


今宵はこのくらいに致します。

YOKOSUKA 2015/08/30(Sun)22:10:25 編集
無題
ありがとうございます、はこちらの台詞ですよ…本当にこんなに色々なお話を聞かせていただけるなんて感謝感謝です。

リラクゼーション、マッサージにも結構力を入れてらしたんですね。その「マザー」とやらはなんだか興味をそそりますが、運搬に20万となると相当大掛かりな機械なんですね。置き場所に困る、というのもなんとなく想像がつきます。

そして「てもみん」に話が繋がるのですか…。またなかなかコアな情報をいただいてしまったような気が。
マッサージも含めて、全体的にサービスのレベルは本当に高いものを提供なさっていた印象を受けますが、バブル崩壊後というタイミングの悪さも利用者が少なかった原因のひとつだったのでしょうか。
なかなか難しいものですね…。
芹屋 2015/09/05(Sat)23:28:17 編集
経営上の視点
知らないうちにい一か月経ってしまいました。

今回は経営上の視点からサッポロスプリングスを書いてみたいと思います。

ご存じのことと思いますが、サッポロファクトリーはサッポロビール札幌第一工場の跡地で、1876年に北海道開拓使麦酒醸造所があった由緒ある場所です。
いわばサッポロビール発祥の地と言えるでしょう。

工場跡地2万坪?の再開発にあたり、ボーリングにより温泉を掘ってみようということになって掘削したところ、地下1200mから38度の温泉が毎分227リットル湧き出したということです。

詳しくは知りませんが、温泉には火山性の温泉とそうではないものの2種類があって、ファクトリーの温泉は勿論後者です。
温泉名も「札幌麦酒工場温泉」という正式名称が与えられていました。
昔々の海水が地下深くにあって地熱で温められたものを掘り当てたで、海水の化石と呼ぶ人もいるのだとか。札幌市はわりと何処でも出るのだそうです。

但し、ボーリングのカネがかかりますが・・・

さて、温泉が出た当時の新聞を見ると、「札幌工場跡地は複合的温泉街になる?」といった記事があり、相当な期待がかけられていたようですね。
それだけにサッポロファクトリーの中でも大きな事業の一つに位置づけられていました。

サッポロスプリングスだけのためにアトリウム(ガラス天井のドーム)を作り、広告代理店を通じて有名デザイナーに設計を依頼し、それはそれは大変な費用を掛けて作った施設で、社員も当初13名、登録アルバイトは100名を数えました。

入場者数は年間三十数万人を見込み、かなりの利益を上げる事業をもくろんでいましたが、実際にはかなり厳しかったようです。
そもそも温泉事業をあの場所でやるには、初期投資と維持管理費、固定費が掛かり過ぎたのですね。

温浴施設事業が次々に撤退して最後には普通の事務所になってしまったのを見れば一目瞭然です。


「きたの新しいくらし」の提供を目指したサッポロファクトリーの期待を背負ったサッポロスプリングスも、数年で消える運命になってとても寂しい気持ちはありますが、一方で働いていた我々スタッフには多大な影響を与えたのも確かです。

サッポロスプリングスで出会ってスタッフ同士で結婚したカップルは4組ありますし、私が今不動産会社を順調に経営出来ているのもあの時の経験が生きているのだと思います。

さて、今日はやたらにまじめな話になってしまいましたが、次回は様々なエピソードを書いてみたいと思います。

というか、私の個人的な書き残しを続けてもいいのかなって思ってしまいますが、打ち切りたいときはそのようにおっしゃってくださいね。
YOKOSUKA 2015/10/04(Sun)22:52:59 編集
無題
毎度ありがとうございます。

スプリングスが中核施設と位置付けられていたのは知りませんでした。アトリウムもそのために作られたものだとは…あの頃は本当に今とは事業の規模が違うといいますか、大変豪快だなぁ、と思います。
結果としてスプリングスは失敗だったのかもしれませんが、あの構造だからこそ現在出来ているイベント(クリスマスツリーとか)もあるでしょうし、何より冬の寒い時期にあれだけ開放的な屋内施設でゆっくりできるのは、札幌市民としては結構魅力的なものなんですよね。
でも、やはり無くなってしまったのは残念ですね…ホテルの付帯施設のような形であればあるいは、というのは単純な発想でしょうか。

そして、話の流れが徐々に施設自体からエピソードのほうに移って来たようですが、どうしたものでしょう…。
この記事は施設面にのみ焦点を当てたものなので、そこからはちょっと脱線してしまうような気もするのですよね。
お話をもっと伺いたい気はあるのですけれども、何かいい方法は無いものでしょうか。

なお、教えていただいた情報に基づく記事のリニューアルは、10月中にはなんとかまとめられそうです。
ちなみに私もほんの短い間、不動産業に関わったことがありますが(仲介業者で補助業務をしていました)、体育会系気質な方が多く、あの世界で続けて行こうとは思えませんでした(笑)
管理会社さんはきっとまた違う雰囲気なのでしょうね。
芹屋 2015/10/09(Fri)20:18:50 編集
無題
当時小学生でしたが、年に何回か家族でここへ行くのが楽しみで、当時は最高の贅沢でした。空間と雰囲気がすばらしく、レストランの料理も美味しかったです。トンパのチキンがメチャメチャおいしくて、今でもあの味が忘れられません。閉鎖になって本当に残念でした。
もうあんな空間に出会えることはないんでしょうが、あのチキンがどこかで食べられないかなと思っています。
市民 2016/10/11(Tue)19:27:58 編集
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