わりといろんなことを書いてる適当なブログ
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東京に別れを告げ、大宮駅まで高崎線(211系)で移動し、エキナカで食料を調達してから新幹線ホームへと向かった私。
まもなく新青森行きのはやて・こまち37号が入線してきます。してきたんですが。
あれ?
おかしいなぁ。E5系単独だぞ…?
!!!!!
そうでした。
私が札幌を出発した翌日(3月1日)から、北海道・東北は豪雪に見舞われたのでした。
(つまり私はちょうど雪から逃げてきた格好になりました。出発があと1日遅かったらたぶん足止めされてた)
それで、2日の夕方にこまち25号が雪に乗り上げて脱線して、秋田新幹線は全線運転見合わせ。
(その時のニュース)
秋田新幹線が脱線 130人、車内に6時間
その影響で、使用予定車両が不通区間に閉じ込められたか、あるいは事故の当該編成だったか、こまち37号は運休。
はやて37号単独での運転となっていたのです。
そうすると、こまちに乗るはずだった乗客は、とりあえずはやて側の車両に乗る感じになっていまして。
はやては全席指定席なので、発車後、空いている座席にとりあえず座ってもらうような。
もちろんそれだけで足りるはずもなく、通路やデッキにまで人があふれていました。
大宮からの途中乗車だったので、先客(仮)に避けていただいての着席。(私ははやての指定券ありましたので)
当然の権利なのですが、なんだか申し訳ないような気持ちになったり。
そんなわけで、盛岡まではぎゅうぎゅうの車内で過ごすことに。
快適とは言えない旅でしたよ…しかし、自然災害ですから文句の言いようもありません。(元々言うつもりもありませんけど)
2回目の新幹線で体が慣れたのか、往路ほどの疲れは感じませんでした。
ただ荷物を棚に置けなくて足元に無理矢理置いていたので、ほとんど動けなかったのが大変でした。
さて、盛岡駅では「こまち組」の方々が下車します。
どうやら途中まで行く臨時のこまちが出るようで、それに伴いはやて37号も発着番線が変更に。
通常は東京方面行きに使われる12番ホームの発着、なかなか貴重なシーンでした。
(追記:と思ったら、別に普段から12番ホームは両方向で使われてるそうで。無駄にわくわくしちゃった)
盛岡を過ぎると、はやて側の乗客も一気に少なくなりました。
私の隣の席も空いたので、ようやくちょっと広く使えるようになり、先ほどのサンドイッチを食べます。
ちょっと潰れてましたけどね…。
そんなこんなでスカスカになった車内に少し寂しさを感じながらも、無事新青森駅に到着しました。
3日も経ってないのに、なんだか寒さが懐かしい。
次は新青森駅から青森駅への移動。
往路はE751系つがるに特例での乗車でしたが、復路では701系普通になりました。
地元住民と新幹線からの乗り換え組が入り混じる車内。
青森駅に着き、あとははまなすの入線を待つだけ…となったのですが、乗り換え待ちが1時間ほどありまして。
行きは大急ぎの乗り換えだったので、帰りはちょっと駅舎のほうまで行って時間を潰そうかな、と考えていました。
しかし、甘い考えでした。
夜の9時半を過ぎた青森駅、買えるものは自販の飲み物だけ。
おまけに切符(東京往復割引切符)の規約で、大宮で入場した後は札幌まで途中下車不可。
つまり、駅前に出てお店を探すようなことも出来ません。
青森駅前には吉野家がある、なんて情報をいただいておきながら無念。
仕方ないので、ホームは寒いですから跨線橋の中で時間を潰します。
くそう、もう1本後の新幹線でもよかった…。
40分ほどして、ようやっと札幌行きのはまなすがDE10に引っ張られて入線。
早速乗り込み、出発を待ちますが…。
ぎゃあ。人がいっぱいだ。日曜日の夜ですからね。
そして私の隣の席にももちろん人が。
横に人がいると落ち着かないので、8時間ほどの苦行の始まりです…。
はまなす自体の走行は順調でした。大雪の影響も特に無かったようです。
でもひどく落ち着かないので、とりあえずずっと本を読んで過ごしました。
ラウンジに行くって手もあったのですが、窓側だったので隣の人を起こしちゃイカンと思うと実行出来ず。
函館のスイッチバックでも、機関車付け替えを見に行けず…。(まぁ、疲れてて気力も無かったんですが)
そしてそこからはお約束の後ろ向き走行です。何が悲しくて進行方向に背を向けて走らねばならんのだ…ボックスシートでもあるまいに。
東室蘭あたりまではずっと起きてました。
そこを過ぎてからは少しうとうとしたりで、気づいたら苫小牧、気づいたら千歳、みたいな。
ま、眠りは物凄く浅かったんですけど。
新札幌を過ぎて、いよいよ札幌市街地へ戻ってきました。
見慣れた風景が車窓に広がります。あぁ、帰ってきたなぁ…ってね。
そうして列車は札幌駅に到着。これにて東京旅行は終了となりました。
(その後自宅に帰るまでもすこしありましたけど)
帰宅してまずシャワーを浴びて、そしてそのままおふとんへGO。
夜行で移動した意味が全く無いではありませんか。
寝てるうちに運んでもらえるのが一番の利点だと言うのに。
お昼寝から目覚めたのが、昼の3時頃。
4日ぶりの自宅での目覚めです。
なんだかこう、ついさっきまで旅行に行っていたって感覚が無いんですよね。
普通にずっと札幌にいたような。
夢の中で旅行してたような感覚とでも言いましょうか。
で、あっちで買ってきたものとかを見て、東京まで行ったんだって実感するわけです。
これは何なんでしょうね? 移動時間が長かったからなのか、単に旅行慣れしてないだけなのか。
飛行機移動だったらまた違う感覚だったんでしょうか。
加えて、どうも北海道の外が現実であるという感じがしなくなってしまって。
普段はテレビとかPCの中にある世界ですから、青函トンネルを抜けて仮想現実の中に入っていったような?
そんな厨二病な発想をしてみたり。
道外の人からしてみれば北海道は別世界だって意見もよく聞きますし、それと似たような感覚なのかなぁと。
たぶん、もう一度行ったら慣れちゃってそういうのも無くなるでしょう。それはそれでちょっと残念ですけど。
ま、なんにせよとても有意義で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
泊めてくれた友人はじめ、道中情報をくださったり助けていただいた皆様にあらためて感謝。
この書き終わるまで半年かかった旅行記に付き合ってくださった皆様も、どうもありがとうございました。
そう遠くないうちに、またこんな旅行記書けるといいなぁ!
まもなく新青森行きのはやて・こまち37号が入線してきます。してきたんですが。
あれ?
おかしいなぁ。E5系単独だぞ…?
!!!!!
そうでした。
私が札幌を出発した翌日(3月1日)から、北海道・東北は豪雪に見舞われたのでした。
(つまり私はちょうど雪から逃げてきた格好になりました。出発があと1日遅かったらたぶん足止めされてた)
それで、2日の夕方にこまち25号が雪に乗り上げて脱線して、秋田新幹線は全線運転見合わせ。
(その時のニュース)
秋田新幹線が脱線 130人、車内に6時間
その影響で、使用予定車両が不通区間に閉じ込められたか、あるいは事故の当該編成だったか、こまち37号は運休。
はやて37号単独での運転となっていたのです。
そうすると、こまちに乗るはずだった乗客は、とりあえずはやて側の車両に乗る感じになっていまして。
はやては全席指定席なので、発車後、空いている座席にとりあえず座ってもらうような。
もちろんそれだけで足りるはずもなく、通路やデッキにまで人があふれていました。
大宮からの途中乗車だったので、先客(仮)に避けていただいての着席。(私ははやての指定券ありましたので)
当然の権利なのですが、なんだか申し訳ないような気持ちになったり。
そんなわけで、盛岡まではぎゅうぎゅうの車内で過ごすことに。
快適とは言えない旅でしたよ…しかし、自然災害ですから文句の言いようもありません。(元々言うつもりもありませんけど)
2回目の新幹線で体が慣れたのか、往路ほどの疲れは感じませんでした。
ただ荷物を棚に置けなくて足元に無理矢理置いていたので、ほとんど動けなかったのが大変でした。
さて、盛岡駅では「こまち組」の方々が下車します。
どうやら途中まで行く臨時のこまちが出るようで、それに伴いはやて37号も発着番線が変更に。
通常は東京方面行きに使われる12番ホームの発着、なかなか貴重なシーンでした。
(追記:と思ったら、別に普段から12番ホームは両方向で使われてるそうで。無駄にわくわくしちゃった)
盛岡を過ぎると、はやて側の乗客も一気に少なくなりました。
私の隣の席も空いたので、ようやくちょっと広く使えるようになり、先ほどのサンドイッチを食べます。
ちょっと潰れてましたけどね…。
そんなこんなでスカスカになった車内に少し寂しさを感じながらも、無事新青森駅に到着しました。
3日も経ってないのに、なんだか寒さが懐かしい。
次は新青森駅から青森駅への移動。
往路はE751系つがるに特例での乗車でしたが、復路では701系普通になりました。
地元住民と新幹線からの乗り換え組が入り混じる車内。
青森駅に着き、あとははまなすの入線を待つだけ…となったのですが、乗り換え待ちが1時間ほどありまして。
行きは大急ぎの乗り換えだったので、帰りはちょっと駅舎のほうまで行って時間を潰そうかな、と考えていました。
しかし、甘い考えでした。
夜の9時半を過ぎた青森駅、買えるものは自販の飲み物だけ。
おまけに切符(東京往復割引切符)の規約で、大宮で入場した後は札幌まで途中下車不可。
つまり、駅前に出てお店を探すようなことも出来ません。
青森駅前には吉野家がある、なんて情報をいただいておきながら無念。
仕方ないので、ホームは寒いですから跨線橋の中で時間を潰します。
くそう、もう1本後の新幹線でもよかった…。
40分ほどして、ようやっと札幌行きのはまなすがDE10に引っ張られて入線。
早速乗り込み、出発を待ちますが…。
ぎゃあ。人がいっぱいだ。日曜日の夜ですからね。
そして私の隣の席にももちろん人が。
横に人がいると落ち着かないので、8時間ほどの苦行の始まりです…。
はまなす自体の走行は順調でした。大雪の影響も特に無かったようです。
でもひどく落ち着かないので、とりあえずずっと本を読んで過ごしました。
ラウンジに行くって手もあったのですが、窓側だったので隣の人を起こしちゃイカンと思うと実行出来ず。
函館のスイッチバックでも、機関車付け替えを見に行けず…。(まぁ、疲れてて気力も無かったんですが)
そしてそこからはお約束の後ろ向き走行です。何が悲しくて進行方向に背を向けて走らねばならんのだ…ボックスシートでもあるまいに。
東室蘭あたりまではずっと起きてました。
そこを過ぎてからは少しうとうとしたりで、気づいたら苫小牧、気づいたら千歳、みたいな。
ま、眠りは物凄く浅かったんですけど。
新札幌を過ぎて、いよいよ札幌市街地へ戻ってきました。
見慣れた風景が車窓に広がります。あぁ、帰ってきたなぁ…ってね。
そうして列車は札幌駅に到着。これにて東京旅行は終了となりました。
(その後自宅に帰るまでもすこしありましたけど)
帰宅してまずシャワーを浴びて、そしてそのままおふとんへGO。
夜行で移動した意味が全く無いではありませんか。
寝てるうちに運んでもらえるのが一番の利点だと言うのに。
お昼寝から目覚めたのが、昼の3時頃。
4日ぶりの自宅での目覚めです。
なんだかこう、ついさっきまで旅行に行っていたって感覚が無いんですよね。
普通にずっと札幌にいたような。
夢の中で旅行してたような感覚とでも言いましょうか。
で、あっちで買ってきたものとかを見て、東京まで行ったんだって実感するわけです。
これは何なんでしょうね? 移動時間が長かったからなのか、単に旅行慣れしてないだけなのか。
飛行機移動だったらまた違う感覚だったんでしょうか。
加えて、どうも北海道の外が現実であるという感じがしなくなってしまって。
普段はテレビとかPCの中にある世界ですから、青函トンネルを抜けて仮想現実の中に入っていったような?
そんな厨二病な発想をしてみたり。
道外の人からしてみれば北海道は別世界だって意見もよく聞きますし、それと似たような感覚なのかなぁと。
たぶん、もう一度行ったら慣れちゃってそういうのも無くなるでしょう。それはそれでちょっと残念ですけど。
ま、なんにせよとても有意義で楽しい時間を過ごすことが出来ました。
泊めてくれた友人はじめ、道中情報をくださったり助けていただいた皆様にあらためて感謝。
この書き終わるまで半年かかった旅行記に付き合ってくださった皆様も、どうもありがとうございました。
そう遠くないうちに、またこんな旅行記書けるといいなぁ!
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